「エル・コンパ」リレーエッセイ(2012/11月)

 

 みなさん初めまして。ケーナを演奏しております渡辺大輔と申します。D.H.さんからバトンを受け取ってリレーエッセイに参加させていただくことになったわけですが、D.H.さんをはじめ、歴代の先輩方のアンデス音楽への愛情と造詣の深さに感服しながら書いています。

 はっきり言って、胸を張ってケーナにまつわる深いお話を発表できるほどの下地が私には全く無いと判断し、とりあえず自分のケーナ人生を勝手に振り返らせていただこうと思います。その中から何か、みなさまにとって興味深い話題が出てくるとよいのですが。

 

(1)先史時代1 〜幼少期〜

 茨城の田舎に生まれましたが、ケーナとの関わりは全くありませんでした。また両親の仕事柄、実家にはいくつかの楽器はあったのですが、そんなものには見向きもしない。宝物はもちろんジャンプとファミコンです。ただ、だからこそ楽器は操れないし、変声期が来ていないこともあって気持ちよく歌うこともできません。隣で喘息発作に苦しむ弟を完全に無視して、聴き入る曲がテレビの向こうに沢山あるのに、それらへの情熱・内なるマグマを表現する手段が全くありません。

「ファミコンだけでは何かが足りない…!」少なからず、ストレスを感じていました。

 

(2)先史時代2 〜エレキ小僧〜

 14歳のときです。中学校の掃除の時間に、BGMとしてX Japanの『Rusty Nail』が流れてきました。この伝説的バンドが、のちに私にケーナを始めさせることに繋がっていきます。よりによってこの曲を校内清掃用に流してくれた放送委員の勇気ある行動には、今でも礼を言いたい。

 これをきっかけに、X Japanの、YOSHIKIさん(以下敬称略)の音楽に病的と言ってよいほどハマり、そんな音楽がやりたくて、お年玉で買ったエレキギター漬けの思春期を送ります。

 ・・・でも今から考えると、練習不足か、あるいはそもそも向いてなかったか。自分では限界まで弾き込んだつもりでしたが、やはりなにか、楽器が言うことを聞いてくれる感覚が得られませんでした。自分を表現しきれない自分に焦りと怒りを覚えながら、それでも「自分にはこれしかない」と言い聞かせ、ひたすらエレキギターに打ち込んでいました。(まあ結果的には、エレキギターは中高時代最高の思い出ではあるのですが。当時としてはこの上なく楽しかった。)

 

(3)ケーナとの出会い 〜リャキルナの衝撃〜

 18歳の冬。大学前期試験からの帰り道。大学構内の植え込みから放たれたとてつもない音楽が、私の琴線に炸裂しました。入学後あわてて調べると、その正体は『リャキルナ』というアンデスの曲であり、音色の主は「ケーナ」とかいう謎の笛らしい。

 

 未だ同意してくれる友人は皆無なのですが、嘘でも誇張でもなく、私にとっては、リャキルナがX Japanと、YOSHIKIと同じ音楽に感じたのです。

 

 X Japanの音楽は、あくまでYOSHIKIがクラシック畑で培った素養を爆発的に発展させて、自身の壮絶な生涯の苦楽を織り交ぜて表現した(と思われる)現代の音楽。

 一方、リャキルナをはじめとするアンデス音楽は、(※語弊などはご容赦ください)神事・民謡などが伝承と発展を重ね、さらにヨーロッパ等の文化と混合のすえ多様に花開いた、歴史ある音楽。さらに、そういった固苦しい定義や、いわゆる「フォルクローレ」の1語でひとくくりにしていることが何か申し訳ないくらい、膨大なバリエーションに彩られる大衆音楽。

 このような両者に共通項が存在し得ないことは、理屈では十分にわかっています。ですが、私の心の中では何故か「同じ音楽」なのでした。両者を聴いたときに、心の琴線の「同じ場所」が、「同じ震え方」をするのです。この感覚は、今でも変わりません。

 そうなると根が単純だから決断は早い。「なんて素晴らしい音楽だ。⇒こんな音楽ができるのならば、エレキギターはもうい。⇒よし、ケーナをやろう」と、あれほど没頭したエレキギターをあっさりやめ、大学の南米民俗音楽サークルへ入りました。

 

・・・そして。

 

 ケーナを手にしたときのあの衝撃と感激。今でも忘れられません。自分の中の何かを、こんなにまっすぐに、いや何倍にも増幅して表現してくれる楽器があったのかと。小さい頃から感じていたあの変なストレスは、将来ケーナを吹くために充填していたエネルギーだったんだと。

 

(4)大学生時代 〜ケーナに狂う〜

 この手の音楽に思いきりハマった多くの学生がきっとそうであるように、私もご多分にもれず、①放課後に練習開始→②翌朝に練習終了→③授業中に睡眠→①に戻る、といった、学費捻出者たる両親には絶対に見せられない大学生活を送りました。ケーナの音色は磨けば磨くほど、信じられないくらい輝いてくれる。その快感に、私の脆弱な精神力が抗えるわけがなかったのだ。

 そんな生活のなかで、神様がいるならほんとうに感謝したいのが、まるで奇跡のように、仲間に恵まれたということ。ケーナへの執念めいた熱意も、表現したい世界観も気持ち悪いくらい一致する同級生レンちゃん(現在ケーナ奏者Renとして活躍中)とは、同じ日にケーナを始め、毎日毎晩、切磋琢磨させてもらいました。私のケーナの表現は、大半が彼との練習の中で生まれたものです。

 そして、そのレンちゃんと私が憧れ続け、究極の目標であったY.Y.先輩。ケタ違いに美しいあの音色、そして表現力は、今でも私の目標です。現在は演奏をされていないそうですから、せめて当時の音色を聴きたいと、先日、Y.Y.先輩の学生時代の演奏ビデオを観てみました。するとやはり、とてもじゃないが今でもあの音は出せない。果たしていつか手が届くものなのでしょうか。

 ほかにも、驚異的な才能で常に冷や汗をかかせてくれた後輩や、異なるパートであっても私が圧倒されるような集中力で一心不乱に打ち込む先輩。みんな一様に目がイッてる。

 このような、あまりにも素晴らしいヤバイ仲間が同じ大学に、しかも同時に存在してくれたことは本当に恵まれていたと思います。結果論ですが、彼ら・彼女らが1人でもいなかったら、私は今ごろ、今以上に随分と未熟な演奏をしていたことでしょう。

 そして、在学中に聴くことができた多くのお手本音源の中で、私の心を圧倒的な握力で鷲掴みしたのが、ケーナの鬼才・橋本仁さん率いるMAYAの演奏でした。

 音楽の嗜好・ケーナの魅力の感じ方・あるいは奏法の価値観といったものは千差万別ですから、誰しもそれぞれにとっての憧れやフェイバリットが燦然と存在することでしょう。私にとってはそれがMAYA・橋本仁のケーナだったんですね。やはり私の脳内で、X Japanを聴いたときと同じ興奮物質が分泌されるわけですが、先日このことを橋本さんご本人に話したら「そんなバカな」と困惑されていました。あたり前だ。

 ともかくそんなわけで、「橋本さんとY.Y.先輩のケーナを、レンちゃんと2人3脚で追いかける」。ずっとこの構図で、学生時代はケーナに没頭したのでした。

 

(5)MAYAにお世話に 〜信じられない展開〜

 22歳のある日、友人からMAYAのコンサートスタッフをやらないかという驚くべき誘いを受けます。血中がX JapanとMAYAで満たされている私が、その話を手放すわけがありません。人には言えない非常〜〜に大事な用事をキャンセルして、大喜びでコンサートの会場設営や受付などをこなしました。

 このスタッフを何度かやらせていただいた後の、打ち上げの席での何気ない会話がきっかけで、僭越にもMAYAと共演させていただけることになりました。うーん、今から考えても、やはりとんでもない事件です。MAYAの皆さんには本当によくしていただき、その後も幾度となくご一緒させていただいているのですが、自分の存在意義とほぼイコールであるケーナを、世界一憧れていたグループの中で演奏できる。自分の持てる力すべてを出し切っても、この達人たちには遥か及ばず、受け止めてくれる。この感動と充実感は、とても私の作文力で表現できるものではありません。

 一方で、MAYAとは共演させていただくたびに自分の力不足を痛感します。MAYAの演奏がより輝くために、その瞬間瞬間にどんな役回りをすべきなのか。もちろん、主役を張らせていただく場面では自分が世界の中心にいるという強烈な自意識やナルシズムが重要となりますが、かつて「俺を聴け」「俺をほめてくれ」と、独りよがりな演奏ばかりしていた私にとって、「MAYAの音に自分の音が溶け込まない」ということが、実は長年の課題でした。なにか自分の音だけが分離している。かといって埋没すりゃいいってものでもない。どうしたらいいのだろう、と。

 もちろんまだまだ修業が足りない点は山ほどあるし、前段の課題もクリアできたのかいささか疑問ですが、かつて別グループで一緒だったメンバーが言った「私は私のサンポーニャを、じゃなくて、サンポーニャと渡辺さんのケーナとの合成波を美しく響かせたいんです」という一言が、今でも私の管楽器合奏の基本として、MAYAや他のステージで凄く役立っています。あの一言がなければ、果たして今もMAYAからお声かけいただけていたかどうか。言ってくれたM.K.さんには大感謝です。あと、あのときスタッフに誘ってくれたT.H.君にも。

 

(6)ケーナ奏者Renとの再会 〜二重奏の可能性〜

 さまざまな演奏に参加させていただいた中で何となく気づいたのは、「音楽性が合致する人との演奏は、非常に高い次元の表現を可能にしてくれる」ということ。ケーナを吹くことで自分の思いが既に何倍にもなって表に出てくれているのに、それをさらに何倍にも増幅させてくれます。かめはめ波+界王拳=界王拳かめはめ波のように。(←?)

 今思えば至極あたりまえのことなのですが、そのことを強く意識したときに、ある重要人物との記憶が次第によみがえります。

 学生時代、あれほど感性がそっくりだとお互い自覚していて、飽きるほど一緒に練習・演奏したレンちゃんですが、そういえば卒業して約10年間、ほとんど共演をしていませんでした。「レンちゃんと今また一緒に演奏したらどうなるだろう」と、なんだか素晴らしい予感にワクワク・ソワソワし始めたころ、またも、気持ち悪いくらいのナイスタイミングで電話が鳴りました。

「もしもし大ちゃん?・・あの〜、一緒にやらない?」

 レンちゃんが、ケーナ奏者Renとして、再び目の前に現れました。

 

 今までの音楽人生で、彼ほど音楽性が同じだと感じた人間はいません。私が心打たれたフレーズには彼が感動し、彼が心酔した演奏には私が大いに共感する。そんなのばかりだった。

 一緒に演奏してくださる素晴らしい演奏家たちの存在もあって、勝手ですがRenちゃんとの演奏には計り知れない可能性を感じています。ただの予感で終わってガッカリしないように、日々精進ですね。

 

(7)おわりに

 長々と書かせていただきましたが、多くの大切な方々との出会い、偶然にしては出来過ぎのシナリオ、そして書ききれませんでしたが他にも重要人物といえる沢山の方々が存在してくれたおかげで、奇跡が何度も起こって、現在に至っています。月並みですが、一期一会という言葉を噛み締める毎日です。

 長嶋茂雄さんは巨人の監督時代、当時の松井秀喜選手に「お前にとってはシーズンのうちの1試合でも、球場に来たあるファンにとっては、今日が松井を生で観られる一生に一度のチャンスかも知れない。だから決して試合を休むな」と話したそうです。

 江頭2:50さんは「視聴者が最後に見た江頭が、手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」と、(法的な善し悪しは別として)自身が芸に全力投球である理由を説明したそうです。

 そして、MAYAの橋本仁さんは「一流のシェフが不特定多数のお客さんへ向けて作った高級料理も美味しいけど、たとえば飢えて疲れ果てた自分を休ませてくれた家があったとして、そこのオバチャンが自分のためだけに握ってくれたおにぎりに勝るものはない。そんな気持ちで演奏を届けたい」と、寝たフリをしてる私の横で、ある方に語っておられました。

 ・・・三つとも、なんとなく「一期一会」の意味が凝縮されているような気がして、ステージに立つときに、こっそり拠り所にしているエピソードです。貴重な時間とお金と体力を使って、自分たちの演奏を聴きにきてくださった目の前の方々に、全力の、精一杯の演奏を。

 そんなことを考えたりしながら、これからもケーナを愉しみたいと思います。

 

 

 —−—−だらだらと個人的な話ばかり書き連ね、しまいには何を言っているのか自分でもよくわからなくなっている始末です。すみません。最後まで読んでくださった方々、ほんとうにありがとうございました。

(2012/11月「エル・コンパ」掲載 ※一部加修正)

 
 

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